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静岡地方裁判所浜松支部 昭和46年(ワ)243号の1 判決 1973年3月19日

原告

袴田庄市

ほか一名

被告

井熊隆吉

ほか二名

主文

被告らは連帯して、原告袴田庄市に対し金一九〇万四、〇九〇円、原告袴田雅に対し金一六万六、〇〇〇円と、各金員に対する昭和四六年九月二五日より各完済に至るまで各年五分の割合による金員を支払え。

被告井熊および同内山は連帯して、原告袴田庄市に対し金二万五、〇〇〇円とこれに対する昭和四六年九月二五日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用のうち、原告袴田庄市と被告らとの間に生じた部分は三分して、その一を同原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とし、原告袴田雅と被告らとの間に生じた部分は五分して、その一を同原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

この判決の第一、二項は仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は「被告らは連帯して、原告袴田庄市に対し金二八三万四、九三六円、原告袴田雅に対し金二〇万六、一五〇円ならびに各金員に対する昭和四六年九月二五日より各完済まで各年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。

一  事故の発生

原告袴田庄市(たんに原告庄市という)は昭和四五年六月八日午後九時四〇分頃、後部座席に妻の原告袴田雅(たんに原告雅という)を同乗させて原動機付自転車(ヤマハ一二五cc、登録番号浜北市一三七号―たんに原告車という)を運転し浜松市貴平町一〇六二番の一地先付近道路(幅員約八メートル、未舗装)を同市中の町方面から笠井町方面に向い進行中、被告井熊が運転し、訴外磯貝正および被告内山両名の同乗する、被告野末保有の普通乗用自動車(登録番号静岡五に七四一〇号―たんに被告車という)が反対方向から疾走し来り原告車の前部に激突したゝめ、その衝撃で原告らは左側溝手前付近に車もろとも放り出されて転倒し、よつて原告庄市は加療一三ケ月余りを要する右足膝関節粉砕、右膝蓋骨複雑骨折、両膝打撲、陰嚢挫創等の傷害を、原告雅は加療約七八日を要する右膝挫創、頸部捻挫、両下肢打撲等の傷害をそれぞれこうむつた。

二  被告らの責任

(一)  被告井熊、同内山および訴外磯貝の三名は当日夕刻から被告内山方において多量に飲酒し酩酊したうえ。午後九時三〇分過頃に至り、さらに市街に出て飲み直すため被告車に乗車し出掛ける途上において本件事故を発生させたものであるが、運転者たる被告井熊は右酩酊により注意能力が著しく減退し、運行操作を誤まつて人身事故を起すかも知れないことを予見しながら、あえて運転をなし、当時原告車が道路左側に沿い直進中であつたところ、同被告は前方注視義務を怠り、センターラインを越えて対向して来た原告車の進路上をその正面に向い疾走して、被告車を原告車に衝突させるに至つたものである。

被告内山および訴外磯貝は事故発生の危険を知りながら、右のように被告井熊をして飲酒酩酊させ、同被告が被告車を運転することを阻止せず、これに同乗してその運転を容認し、同被告をして運転を誤まらせたものである。

以上のように本件事故は右三名の重大な過失により発生したものであるから、同人らは共同不法行為者として原告らに生じた後記損害につき賠償の義務がある。

(二)  被告野末は被告車の保有者であるから、原告らに対し同様に損害賠償の義務がある。

三  原告らの損害

(一)  原告庄市

同原告は左記1ないし10の内訳のとおり合計金四三四万四、九三六円相当の損害をこうむつた。

1  治療費 金三五万六、一四一円

内訳 イ 平野外科医院への入院による治療費 金三一万円

ロ 長岡温泉療養所における医療費 金三万〇、三一六円

ハ 平野外科医院への再入院による治療費 金一万二、〇六五円

2  通院交通費 金一万〇、三六〇円

3  入院雑費 金四万〇、二三〇円

4  汚損によるズボン購入費 金二、三〇〇円

5  原告車の大破による損害 金二万五、〇〇〇円

6  本業の織布業の休業等による逸失利益 金二四万七、五〇〇円

すなわち、同原告は本業として織布業を営んでいたが、本件事故後五ケ月間休業したため、一ケ月金四万五、〇〇〇円の割合で合計金二二万五、〇〇〇円の得べかりし収益を失つたそしてその後営業を再開したが、はじめの一ケ月間は従前の二分の一の稼働実績にとどまり金二万二、五〇〇円の損害を生じた。

7  副業の欠勤による給与、賞与の損失(給与収入の損失金九万八、〇〇〇円と賞与収入の損失金七万三、〇〇〇円との合計金一七万一、〇〇〇円の内金) 金一五万六、〇〇〇円

すなわち、同原告は副業として静岡県小型自動車競走会に勤務し、日給二、〇〇〇円を得ていたが、本件事故後の昭和四五年六月から一〇月までは毎月九日間、同年一一月中は四日間の合計四九日間欠勤したため、合計金九万八、〇〇〇円の給与収入を失つたほか、賞与についても欠勤のため同年七月分の金四万三、〇〇〇円の支給を受けることができず、さらに同年一二月分も本来ならば金四万五、〇〇〇円の支給を受けるべき筈のところ、金三万円減額せられて金一万五、〇〇〇円の支給を受けたにとどまり、合計金七万三、〇〇〇円の賞与収入を失つた。

8  付添人に対する休業損害補償費 金三万二、二四八円

すなわち、同原告は前記第一次入院中付添看護を必要としたが、同原告のため付添看護にあたつた袴田久代は当時朝日電装株式会社に事務員として勤務していたが、付添看護のため右会社を一二日間欠勤し、同年六、七月分給与、皆勤手当および同年一二月分賞与につき合計金三万二、二四八円を減額せられたので、同原告は損失補償のため同女に対し同額を支払つた。

9  後遺障害による逸失利益 金二四六万五、一五七円

同原告は前記傷害治療の結果、後遺症として膝関節の機能障害が残り、労働能力の低下を来たしたが、障害の程度については昭和四六年六月二三日に障害等級一〇級の認定を受けた。同原告は本件事故当時四六才で、本業の織布業により月額四万五、〇〇〇円、前記副業により月額一万八、〇〇〇円(日給二、〇〇〇円で月平均九日間稼働)の合計金六万八、〇〇〇円、したがつて年額にして合計金七五万六、〇〇〇円の収入を得ていたから、前記後遺障害による労働能力喪失率を二七パーセント、就労可能年数を一七年として、労働能力低下による将来の逸失利益の額を計算すると次のとおり金二四六万五、一五七円となる。

756,000円(年収)×0.27×12.077(就労可能年数の係数)=2,465,157円

10  後遺障害による慰藉料 金一〇一万円

(二)  原告雅

同原告は左記1ないし3の内訳のとおり合計金七〇万六、一五〇円相当の損害をこうむつた。

1  平野外科医院への入院による治療費 金二一万円

2  付添人に対する休業損害補償費 金一九万六、一五〇円

すなわち、同原告は前記入院中付添看護を必要とし、退院後も家事労働に従事することができなかつたため、袴田房子が同原告のために付添看護と家事労働にあたつたが、同女は当時有限会社「まるえん」の従業員として平均月額三万六、〇四三円の給与を得ていたところ、右付添看護と家事手伝のため三ケ月一五日間欠勤し、これにより給与と年末賞与を含め合計金一九万六、一五〇円の減収を生じたので、同原告は同女に対し損失補償として同額を支払つた。

3  慰藉料 金三〇万円

四  損害の填補

原告等が、本件事故によつてそれぞれこうむつた損害は以上のとおりであるが、各損害に対する填補として、自動車損害賠償責任保険から、原告庄市は金一五一万円、同雅は金五〇万円の各給付金を受領したので、各損害の残額は原告庄市につき金二八三万四九三六円、同雅につき金二〇万六、一五〇円となつた。

五  むすび

よつて被告らに対し、原告庄市は金二八三万四、九三六円、同雅は金二〇万六、一五〇円と各金員に対する最終の訴状送達の翌日の昭和四六年九月二五日より完済まで民事法定利率年五分の割合の遅延損害金の連帯支払を求めるため本訴に及んだ。〔証拠関係略〕

被告井熊訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として

原告ら主張の請求原因事実の一のうち、原告らの各受傷の部位程度は知らないが、その余は認める。二は否認する。三は知らない。四のうち原告らがそれぞれ主張の保険給付金を受領したことは認める。

と述べた。〔証拠関係略〕

被告野末は「原告らの請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、

一  原告ら主張の請求原因事実の一のうち、被告車を保有していたことのみ認めるが、その余は知らない。二の保有者責任は争う。三は知らない。四のうち、原告らがそれぞれ主張の保険給付金を受領したことは認める。

二  被告車は、原告ら主張の事故当時、被告井熊に対しこれを貸与し使用させていたものである。

と答えた。〔証拠関係略〕

被告内山は「原告らの請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、

原告ら主張の請求原因事実の一のうち、原告ら主張の日時に被告車に同乗中に交通事故が発生したことのみ認めるが、その余は知らない。二は否認する。三および四はいずれも知らない、と答えた。

理由

一  原告らと被告井熊との間において、原告ら主張の請求原因事実の一のうち、原告らの各受傷の部位程度を除くその余は争いがなく、〔証拠略〕によれば、本件事故により原告庄市は右膝蓋骨複雑骨折、両膝打撲および陰嚢挫創の、そして同雅は右膝挫創、頸部捻挫および両下肢打撲の各傷害をこうむつたことが認められる。

次いで、〔証拠略〕を綜合すると、被告井熊は友人の訴外磯貝と連れ立つて本件事故当夜の午後八時三〇分頃浜松市笠井町の被告内山方に赴き、同所においてビール二、三本を飲んだため、その影響により正常な運転ができない状態にありながら、一緒に飲酒した被告内山および訴外磯貝と共に同市中の町方面のモーテルで食事をするため同人らを誘い、午後九時三〇分頃みずから運転する被告車に被告内山および訴外磯貝を同乗させて同所を出発し、本件道路中央付近を毎時約四〇キロメートルの速度で南進し、本件事故現場付近にさし掛つたところ、対向して来る原告車のライトを約三〇メートル前方に認めたが、そのまゝ約八メートル進行したとき、同所付近は直線状の道路であつたのに、酒酔いにより注意力が鈍つていたゝめ道路が右にカーブしているものと錯覚し誤まつて原告車の方向に向けハンドルをやゝ右に切つて、被告車を右寄りに進行させ原告車に接近した過失により、ついに被告車右前照灯付近を原告車前部に衝突させて本件事故を発生させたものであることが認められる。弁論分離前被告磯貝および被告井熊各本人に対する尋問の結果のうち、右認定に反する部分は信用することができず、ほかに反対の証拠はない。

そうだとすると、被告井熊は不法行為者として原告らに対し本件事故より生じた損害につき賠償の責任を負わなければならない。

二  原告らと被告野末および同内山との間においては、〔証拠略〕を綜合すると、次のような事実が認められる。

すなわち、原告庄市は昭和四五年六月八日午後九時四〇分頃、後部座席に妻の原告雅を同乗させたうえ、原告車を運転して、浜松市中の町方面から笠井町方面に向け南北に通ずる幅員約八メートルの未舗装道路の左側を毎時約四〇キロメートルの速度で北進中、同市貴平町一、〇六二番の一地先付近にさしかゝつたところ、被告井熊の運転する被告車が対向し接近して来て被告車右前照灯付近と原告車前部とが接触衝突し、よつて原告車は破損し、かつ原告庄市は右膝蓋骨複雑骨折、両膝打撲および陰嚢挫創の、同雅は右膝挫創、頸部捻挫および両下肢打撲の各傷害をこうむつたこと、当夜同被告は友人の訴外磯貝と共に同市笠井町の知合いの被告内山方に赴き、同所において午後八時三〇分頃からビール二、三本を飲んだため、その影響により正常な運転ができない状態にありながら、一緒に飲酒した被告内山および訴外磯貝と同市中の町方面のモーテルで食事をするため同人らを誘い、午後九時三〇分頃被告車へ同人らを同乗させて(被告内山が同乗した事実は同被告との間では争いがない)同所を出発し、前記道路の中央付近を毎時約四〇キロメートルの速度で南進し、本件事故現場付近に至つたところ、前方約三〇メートルの距離に対向して来る原告車のライトを認めたが、そのまゝ約八メートル進行したとき、同所付近は直線状の道路であつたのに、酒酔いにより注意力が鈍つていたゝめ道路が右にカーブしているものと錯覚し、誤まつて原告車の方向に向けハンドルをやゝ右に切つて被告車を右寄りに進行させた過失により、接近して来た原告車に被告車を衝突させて本件事故を生ずるに至つたものであることが認められる。弁論分離前被告磯貝および被告井熊各本人に対する尋問の結果のうち、右認定に反する部分は信用することができず、ほかに反対の証拠はない。

ところで、被告野末がかねて被告車の保有者であつた事実は争いがなく、かつ本件事故当時同被告がこれを被告井熊に対し貸与し使用させていたこともその自認するところであるが、〔証拠略〕を綜合すると、同被告らはいずれもかねてから引佐郡引佐町奥山にある遠州砕石株式会社の砕石工場においてダンプカー持込みで砕石運搬業務に従事し、職場における同僚の関係にあつたが、事故当日は前記会社の休業日であつたので、当時同町花平に寄宿していた被告井熊は当日午後から日帰りの予定で実家のある浜松市常光町方面へ出向くことゝしたが、出掛けるにあたつて生憎自己の乗用自動車が故障修理中であつたゝめ、かねて親しい間柄の被告野末に対し、「実家方面へ帰つて来たいから車を一寸貸してほしい。」と告げて、同被告方に置いてあつた被告車を借受けこれを使用していたものであることが認められ、反対の証拠はない。

右認定の事実関係からすれば、本件事故当時被告野末は被告車をみずから使用せず、これを貸与していたとはいえ、依然これにつき運行支配および運行利益を保有していたものと認めるを妨げないから、同被告としては本件事故の結果につき運行供用者責任を免れず、したがつて原告らの各受傷によつて生じた損害につき被告井熊と連帯して賠償の義務を負わなければならない。

次に〔証拠略〕を綜合すると、被告井熊は以前研磨業に従事していたが、その頃から兄を通じてその友人であつた被告内山と知り合い、研磨の仕事を同被告に教えたこともあつて同被告と親しく交際していた間柄であつたが、本件事故当夜友達の訴外磯貝を被告車に同乗させ浜松市笠井町の同被告方に立寄つたところ、たまたまひとりで飲酒していた同被告は被告井熊が被告車を運転して来たことを知りながら同人らを迎え入れ、被告井熊が酒酔いのため正常な運転ができない状態となる虞れがあるにもかゝわらず、あえて同被告に対し、ビールをすゝめたゝめ、これに応じて前記のように同被告はその場でビール二、三本を飲んで酒酔い状態となつたが、運転者の同被告がいまだそのような状態にある間に三人共外出して食事するため被告車に乗り込み同市中の町方面のモーテルに向う途中で前記のように本件事故を生じたことが認められる。弁論分離前被告磯貝および被告井熊各本人に対する尋問の結果のうち、右認定に反する部分はいずれも信用しがたく、ほかに反対の証拠はない。

右認定のように、被告内山において、被告井熊の運転操作能力に危険な影響を及ぼすことを認識しながら、同被告に対しビールをすゝめたゝめ、これを飲んだ同被告が正常な運転操作をすることができない状態となつた結果、ついに操作を誤まり本件事故を発生させたものと認られる以上、被告内山は共同不法行為者として、被告井熊と連帯して本件事故の結果につき責任を負うべきものといわなければならない。

三  そこで原告らのこうむつた損害につき判断する。

(一)  原告庄市の損害

〔証拠略〕を綜合すると、同原告は本件事故後、前記受傷によりたゞちに浜松市和田町八三一番地の三平野外科医院に収容され、昭和四五年九月五日まで九〇日間入院して右膝蓋骨複雑骨折部分の観血的固定手術等の治療を受け、同月六日からリハビリテーシヨンのため伊豆長岡温泉療養所に転地して療養し、復帰後の同月二五日から前記病院に通院して両膝関節部の治療を受けていたが、打撲に基づく関節炎により右膝関節の癒着を生じたゝめ翌昭和四六年七月二七日より同年八月八日まで一三日間再入院して右癒着部分の剥離手術を受けたが、後遺症として障害等級一〇級該当の膝関節機能障害(すなわち、右側は自動の場合に伸展一八〇度、屈曲一一二度、他動の場合に伸展一八〇度、屈曲八五度、左側は自動の場合に伸展一六〇度、屈曲一六〇度、他動の場合に伸展一八〇度、屈曲九五度)が残つたことが認められる。

1  治療費

〔証拠略〕によれば、同原告の前記第一次入院にともないその主張の金三一万円を下らない費用を要したことが認められ、ついで〔証拠略〕によれば同原告の前記再入院にともない金一万二、〇六五円を要したことが認められるが、同原告の主張するその余の治療費の支出については証明がない。

したがつて治療費の損害にかんする同原告の主張は前記各金額の合計金三二万二、〇六五円の限度で理由があるものとすべきである。

2  通院交通費

〔証拠略〕によれば、同原告は前記平野外科病院との通院および伊豆長岡温泉療養所における転地療養に際し、交通費としてその主張のとおり合計金一万〇、三六〇円を支出したことが認められる。

3  入院雑費

〔証拠略〕によれば、同原告は前記第一次入院期間中に治療のため氷代として金五〇〇円を支出したことが認められるが、この事実のほか前認定の入院期間および前記本人尋問の結果をあわせ考えると、同原告は第一、二次にわたる合計一〇三日間の入院を通じて一日あたり金三〇〇円の割合で合計金三万〇、九〇〇円の雑費を要したものと推認するのが相当であり、したがつて同原告の主張は右の限度で理由があるものと認める。

4  汚損によるズボン取替費用

〔証拠略〕を綜合すると、同原告が本件事故当時着用していたズボンは勤務先の静岡県小型自動車競走会より貸与を受けていたものであつたが、本件事故により汚損し返納することができなくなつたゝめ、同競走会に対し金二、三〇〇円を弁償して新規のズボンと取替えたことが認められる。

5  原告車の破損による損害

〔証拠略〕によれば、原告車はヤマハ四〇年式第二種原動機付自転車であり同車は同原告が本件事故より約六ケ月前に代金四万円で購入して使用していたものであつたが、本件事故により修理使用に耐えない程度に破損したゝめ、やむなく他車と買換えたことが認められるが、この事実からすれば、原告車破損による損害額は同原告主張の金二万五、〇〇〇円を下らないものと認めるのが相当である。

6  織布業の休業等による損害

〔証拠略〕によれば、同原告は本件事故当時まで織機六台を備え織布業を自家営業していたところ、本件事故による前記受傷のため事故後の五ケ月間は右営業を全休し、その後これを再開したが、はじめの一ケ月間は従前の二分の一程度の稼働にとどまつたことが認められる。〔証拠略〕によれば、本件事故の前年にあたる昭和四四年度の同原告の織布業所得は年額四〇万六、〇〇〇円であつたことが認められるから、この事実からすれば、本件事故当時の同原告の右営業による収入は月額三万四、〇〇〇円程度であつたと認めるのが相当である。同原告本人の第一、二回尋問の結果のうち、右認定に反する部分はいまだ信用しがたく、ほかに反対の証拠はない。

そうすると、同原告は本件事故後の五ケ月の休業により金一七万円、その後の一ケ月間の業績不良により金一万七、〇〇〇円の合計金一八万七、〇〇〇円の損害をこうむつたものと認むべく、同原告の主張は右の限度で理由があるものというべきである。

7  小型自動車競走会欠勤による損害

〔証拠略〕によれば、同原告はかねて織布業のかたわら副業として静岡県小型自動車競走会にスターターとして勤務し、給与および賞与の収入を得ていたが、本件事故後の昭和四五年六月から一〇月までの五ケ月間に合計三四日欠勤を余儀なくされたゝめ、給与につき金六万四、二六五円、賞与につき金四万六、二〇〇円の合計金一一万〇、四六五円の収入を失つたことが認められる。

同原告は給与につき金九万八、〇〇〇円、賞与につき合計金七万三、〇〇〇円の各損害をこうむつたと主張するが、本件において同原告が右認定額を超える損失をこうむつたと認むべき証拠はないので、同原告の主張は右認定の限度で理由があるものとすべきである。

8  付添人に対する休業損害補償費

〔証拠略〕によれば、同原告の前記第一次入院中に次女の袴田久代が一一日間同原告のため付添看護にあたつたこと、そして同女は当時浜北市内の朝日電装株式会社に勤務していたが、右付添看護をするにつき会社を欠勤したゝめ、給与および賞与の収入合計金三万二、二四八円を失つたことが認められる。

しかし本件のように近親者が付添看護など介助にあたつた場合の損害は介助者自身の休業損害を基準とすべきではなく、被害者が職業的付添人を雇入れた場合に準じて算定すべきものであるところ、本件においては付添費は一日あたり金一、〇〇〇円程度と認めるのが相当であるから、前記久代の一一日間の付添看護により要した費用は合計金一万一、〇〇〇円程度であつたと認むべく、同原告の主張はこの限度において理由がある。

9  後遺障害による逸失利益

〔証拠略〕によれば、同原告は大正一三年一〇月一日生れ(したがつて本件事故当時は四五才)で本業の織布業のほか、農業(田二反三畝、畑六畝を耕作)および前記競走会勤務により収入を得ていたが、本件事故による前記後遺障害のため機械の取扱いや重量物運搬などの労務に支障を来たし、織布業に従事することが困難となつたゝめ昭和四六年九月をもつて織布業を廃業し、その後は経糸管巻業に転向し、これにともなつて生活収入の減少を生じていることが認められる。

もつとも〔証拠略〕によれば、同原告は前記傷害が治癒してから、前記競走会に復職して再びスターターの業務に従事し、本件事故以前よりも多額の給与収入を得ていることが認められるが、その増加額は農業および管巻業の収入減を補うに足るものとは認めがたく、かえつて前記後遺障害がその部位態様から見て永続性のものと認められる反面前記スターター業務の性質上その稼働期間には年令的制約のあることを考慮すると、同原告にとつて長期的全体的には収入面の減少低下は否定し得ないものと認めなければならない。

ところで、右収入減の具体的数額について〔証拠略〕において前記転業後の収入減は月額一万五、〇〇〇円程度である旨の供述があるが、その供述は転業後の稼働態様や金額算出根拠の裏付けのない漠然たる内容にとゞまるので、にわかにこれを信用することができず、ほかに本件において収入減の具体的数額を明らかにし得る資料はない。そこで本件においては最も事故当時に近接した同原告の前年度の年間所得および後遺障害による平均的労働能力喪失率を勘案して同原告の収入減を推計するほかないところ、前顕甲第二三号証により同原告の昭和四四年度の年間総所得額が金六二万二、〇〇〇円であつたことが認められること、そして同原告の前記後遺障害の程度が障害等級一〇級該当と認定されていることからすると、その収入減の額は前記管巻業に転業した昭和四六年一〇月以降同原告の就労可能期間を通じて一ケ年あたり前記年間総所得額のほゞ四分の一にあたる金一五万円程度と認めるのが相当である。

そこで同原告の前記転業時の年令四七才を基準としてその就労可能年数と認められる一六年間の係数を用い、ホフマン式計算法によりこの期間の収入減の総額の現価を計算すると次のとおり金一七三万円(一万円未満切捨)となることが明らかであるから、同原告の損害額の主張は右金額の限度で理由があるとすべきである。

150,000円×11.536=173万0400円

10  後遺障害による慰藉料

前認定の後遺障害の程度態様、その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、同原告の精神的苦痛を慰藉するため、被告らから支払を受くべき金額はその主張のとおり金一〇一万円と定めるのが相当である。

以上によれば、同原告は合計金三四三万九、〇九〇円の損害をこうむつたものと認められる。

(二)  原告雅の損害

〔証拠略〕を綜合すると同原告は本件事故後、前記受傷によりたゞちに夫の原告庄市と共に前記平野外科医院に収容され、七八日間入院加療のうえ、昭和四六年八月二四日に退院したこと、しかし退院後も右踵にむくみが残つていたので、医師の指示にしたがい、原告庄市の前記転地療養に同行して約一五日間温泉療法を施し、帰宅後も同年一一月一〇日頃まで自宅で休養を続けた結果、ほゞ治癒回復を見るに至つたこと、以上のとおり認めることができる。

1  治療費

〔証拠略〕によれば、同原告の前記入院にともない治療費として同原告主張の金二一万円を下らない費用を要したことが認められる。

2  付添人に対する休業損害補償費

同原告のこの点の損害額の主張は、前記治療期間中、当時有限会社「まるえん」に勤めていた袴田房子が勤務を休んで同原告のため付添看護と家事手伝にあたつたので同女に対し休業補償費を支出したとするもので、同女に休業損害が生じたことを前提とするものであるが、この主張はさきに原告庄市の場合につき述べたと同様の理由により採ることができない。

しかし、〔証拠略〕を綜合すると、原告雅は主婦としてかねて日常家事全般を処理していたものであるところ、前記入院治療および退院後の療養の期間を通じて従前の労務に就くことができなかつたので、この期間中は当時浜北市内の食料品有限会社「まるえん」の従業員であつた長女袴田房子が勤務を休んで同原告のため一〇日間付添看護にあたつたほか、同原告にかわつて日常の家事労働にも従事したことが認められるので、この事実からすれば、同原告は長女房子から付添看護および家事手伝の労務の提供を受けたことにより昭和四六年六月八日から同年一一月一〇日までの一五六日間一日あたり金一、〇〇〇円の割合で合計金一五万六、〇〇〇円の費用を要したものと認めるのが相当であり、同原告の主張は右の限度において理由がある。

3  慰藉料

前認定の同原告の治療経過、その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、同原告の精神的苦痛を慰藉するため、被告らから支払を受くべき金額はその主張のとおり金三〇万円と定めるのが相当である。

以上によれば、同原告は合計金六六万六、〇〇〇円の損害をこうむつたものと認められる。

四  損害の填補

前認定の原告らの各損害に対して、原告らがそれぞれ受領したことを自認する保険填補金(原告庄市につき金一五一万円、同雅につき金五〇万円)を充当すると、各損害の残額は、原告庄市につき金一九二万九、〇九〇円、同雅につき金一六万六、〇〇〇円となる。

したがつて、原告らの被告らに対する請求は、原告庄市において被告井熊および同内山に対し金一九二万九、〇九〇円、被告野末に対し右のうちから原告車の損害(金二万五、〇〇〇円)を除いたその余の金一九〇万四、〇九〇円、原告雅において被告らに対し金一六万六、〇〇〇円、ならびに右各金員に対する最終の訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四六年九月二五日から各完済まで民事法定利率年五分の割合の遅延損害金の連帯支払を求める限度において理由があるといわなければならない。

五  むすび

よつて原告らの請求を右の限度において正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条、原告ら勝訴部分の仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 土屋連秀)

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